
~空間づくりの道を歩き始めて~
司会:それでは、まず、出原さんが入社されてからどのような物件を手掛けられたか、お話しいただけますか?
出原:ビジネスショーなどの展示会でコンピューター関連会社のブースデザインや企画を手がけたのがスタートです。私は建築系の学部出身ですが、この仕事は床や壁天井があってデザインをするインテリアと違い、更地の状態から設計し、構造について考える点では建築に似ていると思っていました。なおかつグラフィックやサイン、照明にも目を向けなければならない幅広さがあります。入社当時、そんなことを考えながら、いずれ好きな音楽と空間を結びつけた場所を手掛けたいと思っていた記憶があります。
司会:その後、その思いは叶えられたのですか?
出原:そうですね。その先駆けが93年に手掛けた『トヨタオートサロン アムラックス大阪』です。妹尾河童さん、近藤康夫さん、榎本文夫さんらとのコラボレーションで、床や壁、天井の造形をする感覚ではなく、光、音、匂い、その場所が持つ歴史や文化といった要素も含めて情景、すなわちシーンを創るということを根底に考えながら、イタリアの街並みを再現する感覚でつくりあげました。当時この言葉はありませんでしたが、のちに、この考え方を私は「シーンメイク」と名づけました。その後の『ナンジャタウン』でも同じ考え方の下で空間づくりをしています。


司会:洪さんのキャリアのスタートはいかがでしたか?
洪:新人のうちから幅広い分野のデザインに携わることができました。例えば、80年以降、博覧会ブームの時代が来ましたが、まず90年に開催された『国際花と緑の博覧会』では政府出展のパビリオンのディレクションをしました。続いてテーマパークがブームになりましたが、丹青社にもアミューズメントスペースデザインという研究所が設立され、その一員になりました。
アミューズメント空間を手掛けるというのは、私にとって初めての経験で、手探り状態ながら、アトラクションの企画からアートディレクション、デザインまでいろいろと担当しました。その成果の一つが大量の水で洪水を演出した92年の『ハウステンボス・ホライゾンアドベンチャー』ですが、現在も人気アトラクションとして健在です。
司会:朴さんは、入社当初から、商業空間に携わってらっしゃったのですか?
朴:私はずっと商業空間に携わってきました。私が入社した80年代の初期に、VMDの手法が伊勢丹に日本で始めて導入されたのですが、その時のリニューアルに関わったのが、最初の仕事になりました。今でこそ当然のように展開されていますが、VMDの導入は、商品や店舗環境の魅力を視覚的に訴えていく、当時の売場にとってはドラスティックな改革でした。
伊勢丹の後は『小田急フローリスト』をはじめ、さまざまな専門店のデザインを手がけ、のちにJRや私鉄の駅ビルをはじめとする、大型商業施設を担当するようになりました。
87年のオープン、93年にはリニューアルと2度にわたって設計を担当した、京浜急行線久里浜駅の駅ビル『ウィング久里浜』の仕事ではクライアントから高い評価をいただきました。しかし個人的には改装時の設計で力が入り過ぎ、出来上がってデザインをやり過ぎたことに気づき、その仕事以来、空間づくりに対する考え方が大きく変わりましたね。

撮影:三富純、ヴィスタジャパン 廣崎節雄、ナカサ&パートナーズ