
~自己のスタイル確立への軌跡~
司会:空間づくりに対する考え方の変化とは、どういった変化ですか?
朴:デザインを思考する際に、利用者と立地への心配りを最重要に考えるようになりました。その後、京浜急行線品川駅の高架下のリニューアルを手掛けましたが、その時も何よりもその点を大切にしました。おかげさまで99年には『ウィング高輪』のリニューアルも担当させてもらいました。現在ではウィング高輪イーストと名称も変わりデザインも代替わりしていますが、ずっと丹青社の仕事として続いています。

司会:小型の専門店から大型店へと手掛けられた物件の規模が変わりましたが、朴さんにとって大型店なりの仕事のやりがいとは何ですか?
朴:何よりも達成感の大きさですね。大型店として最初に手がけたJR亀戸駅ビルのオープンの日に、開店待ちの行列が何百メートルも伸びる中で、関係者がテープカットをする華々しいセレモニーが行われました。そのセレモニーを間近で見て過去の苦労が一気に浄化されていったように感じました。あの感覚は今でも忘れられません。
また、自分が携わった施設を媒介にして懐かしい人に出会ったり、業界内に新たな縁が生まれたりと、結果論ですが、規模が大きい分、仕事の可能性が広がるという意味でも大型店は面白いですね。
司会:洪さんは、90年代のテーマパークのブームの真っ只中にいらっしゃったわけですが、その後の経緯を教えてください。
洪:テーマパークのブームの後には、「アミュージアム」という言葉が生まれるほど、人を楽しませる、参加体験型のミュージアムがブームになりました。それに伴ってテーマ性の高いミュージアムのオファーが増え、96年の『宮城県帆船ミュージアム』や01年の『鳥取二十世紀梨記念館』など、観光振興とリンクした、いわゆるご当地モノを核とするミュージアムを数多く手がけました。ただ、時代の求めに応えるという意味では、テーマパークと大きな違いはなく、時代の変化に合わせた経験を積み重ねることができたかなと思っています。

司会:その中で、こだわってきたポイントというのは何ですか?
洪:私が空間を手掛ける際のキーワードは、「narrative(物を語ること)」という言葉です。テーマパークであれ、アミュージアムであれ、空間というメディアを使って人に何かを伝えていくためのデザインを追求し、スペースを構築すること、私の仕事はそこに集約されると思います。
05年の愛知万博では『国際赤十字・赤新月館』のプランニングからデザインまでの総合プロデュースを担当したのですが、赤十字の活動を伝えることで、何らかの印象や感想を抱いてもらい、自ら行動に移るきっかけになればと、人のマインドに訴える「narrative」を意図しました。この物件は、ちょっとした社会現象になるくらい話題になったのですが、それは訪れた人が「narrative」を感じてくれたからだと思っています。
司会:出原さんは「シーンメイク」という考え方を、どう固めていかれたのでしょうか?
出原:ある時、バーをデザインする仕事に携わったのですが、あれがターニングポイントだったのかもしれません。どんな空間に仕上がるのか、自分の頭の中ではイメージが明確に浮かんでいるのに、空気感の醸成に必要な光、音楽、匂いといったパーツは、カタチではないから絵で表現しきれません。それならと絵にストーリーを添えて、文章付きのデザインとして、空気感まで含めて提案できるようにしました。そうやって「シーンメイク」の表現方法が固まってきたのですが、「シーンメイク」は、個人的には2000年の『イクスピアリ』で完成したと思っています。
「人はその場所に気分を買いに来る。その気分を味わえるところに人は集まる。」というのが、私の空間づくりの発想の原点ですが、今やクリックすればショッピングができる時代に、その場所でしか味わえない空気感を、そしてシーンをつくろうと常に挑戦しています。02年の『横浜赤レンガ倉庫』でも、クライアントとスタッフに恵まれ、同じ考え方のもとで仕事ができました。

撮影:ヴィスタジャパン 廣崎節雄、三富純+ジェフリー・ジョンストン、フォワードストローク